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【「枠」に依って生まれる自分への縛り】

  • labyrinthiinaanet
  • 2010年10月6日
  • 読了時間: 2分

今回は、迷路の「枠」の在り方などについて、自分が思っていることを書こうと思います。まず、迷路に於ける「枠」の発生の仕方は、大きく2つあります。ひとつは、最初に白紙の中に任意の枠を描き、その中を迷路で埋めていくという方法で、一般的な迷路はほぼ全て、このルールに依って枠が生まれています。(自分が描いた迷路では、小学校の卒業制作に描いた迷路もこれに則った迷路です)

もうひとつは、最初に枠は設けず、白紙の好きな所から迷路を描いていき、自分の中で「これで完成だ」と思ったときに出来た形のアウトラインが枠であるという方法になります。(ライオンの横顔のようにも見える迷路は、こちらの方法で描かれています)

ここで今回の記事のタイトルに話を進めますが、上に挙げた枠の発生事由を見ると、前者の方法では「最初に枠ありき」であるのに対し、後者の方法は「枠は結果だ」という全く異なった生まれ方でありながらも、そのどちらもが「迷路の枠」という事になります。しかし、「迷路の枠である」という結果は同じであっても、後者の方法は、自分の中で、いつでも自由に迷路の制作を止めることが出来るのに対し(止めても完成にはなる)前者の方法では、とにかく枠の中の全てを迷路で埋め尽くさない限り完成にはならず、言うなれば、最初に描いた枠の存在自体が、自分へと課した縛りになっているのです。そして基本的には、この縛りの大きさというものは、枠の大きさに比例すると思います。

「迷路の枠」に接する「ラビリンス」の一部

現在制作している「ラビリンス」に設定した迷路の枠の大きさというのは、自分の中でも過去最大級の大きさに設定しました。制作に取り掛かる前の当初見込みでは、3ヶ月程度あれば完成が見えてくるはずだと思っていましたが、この記事を書いている現時点に於いて、まだ完成は見えません。ただ、「枠」というものがある限り、毎日、少しでも手を動かし迷路を描き込んでいけば、それは確実に完成へと向かっているということであり、また、枠という明確なゴールは、迷路の制作の最初の時点からその全貌が見えている唯一のものになります。

全く先が見えないような縛りに立ち向かうということは、かなりの勇気と根性が必要だと思いますが、その姿が最初から見えており、しかも、それが自分の机の上の中だけで完結している縛りならば、これは絶対的に、自分で完遂できる縛りであるという事です。「ラビリンス」の制作中は、長い石段を登っているような気分になることがあるのですが、毎日、地道にこの石段を登り、近い将来、その頂に到達するべく頑張りたいと思います。


 
 
 

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