【迷路の記憶】
- labyrinthiinaanet
- 2010年8月26日
- 読了時間: 3分
自分の記憶を辿るに、自分が迷路というものに触れた最初のきっかけと言うのは、地元新聞社の日曜版に、毎週、迷路が掲載されていたということがあります。(この当時の自分は、幼稚園か小学校の低学年くらいの年齢だったと思います。)
同年代の友人たちが、普通に見たり読んだりしている漫画やテレビ番組などにはあまり触れさせないという教育と考えを持った家庭で育てられたので、本を読んだり、何かを工作をしたり、友人たちと外で遊ぶなどして過ごすことが多かったのですが、新聞の日曜版に掲載される迷路というのは、漫画やアニメ、テレビゲームなどのわかりやすい娯楽に乏しかった自分にとっては、楽しみのひとつになっていました。
今から25年、あるいはそれ以上過去のことなので、細かい部分についての記憶は曖昧になってきていますが、例えば、5月であれば鯉のぼりのイラストであるとか、12月であればクリスマスツリーであるとか、その季節をテーマにしたイラスト付きの迷路作品(もしかしたら、クリスマスツリー形の迷路などであったかも知れません)が掲載されており、この迷路を鉛筆で解いて遊ぶということを繰り返していた結果、自分でも意識せずに、迷路の書き方や理屈みたいなものが身に付いたと思います。

2010年7月28日未明撮影の「ラビリンス」
そして、実際に自分が迷路を描く行為を始めたのは、プロフィールにも書いてある小学校2年生の冬に牛乳キャップの裏に迷路を描いたというのが最初の記憶です。この行為には理由があり、自分のクラスの中に、兄弟全員がいわゆる不良だというガキ大将の男子がいて、この彼は、クラス全員に対して絶対的な権力を持っており、冬の寒い時期、外は寒いから教室内で遊びたいと嫌がるクラスメートたちに対して、「これから外で遊ぶぞ」と昼休みごとに命令を行っていて、本来、自分もこの命令に従って、寒い中、外でドッジボール遊びなどに興じる必要があったところ、たまたま、自分は細かい作業や漫画を描くことが得意だったので、このガキ大将が午後からの授業中に暇を潰せる何かを提供することにより、この難を逃れることが出来るという条件を与えられ、最初は、昼休みに漫画を描くことで外で遊ばずに済んでいたのが、途中、漫画のネタも尽きたのか牛乳キャップの裏に迷路を描いたところ、これが受け、「面白いからもっと描け」という話になり、それ以降、迷路を描き続けていたのです。
この期間は、恐らく数ヶ月(1~2ヶ月)の短い期間ではありましたが、短期間の中で迷路を描き続けたことが、ある種の迷路アレルギーを生み、それから小学校6年の卒業制作を行うまでは、「もう迷路を描くのはいいや」と迷路を描くこともなく、漫画やイラストなどを描いたりして過ごしていましたが、何でもよいから何かを制作しろという自由テーマで与えられた小学校の卒業制作をする際、久しぶりに迷路を描こうと思い、数年ぶりに小学校の名前の中を迷路で埋め尽くすという作品を制作したわけですが、この勢いに乗って、直後に「ライオンの横顔のようにも見える迷路」を描いたあとは、またもや迷路を描くこともなく過ごし、19歳になって突然、また迷路を描いたのでした。
そして、19歳のときに描いた迷路を最後に、また新たに迷路を描くということもなくなり、迷路を意識することもなく15年という月日が流れましたが、34歳になった今思うに、迷路を描いていなかった期間を含めての、これまで生きてきた自分の全てのものは「自分の迷路」というものに向けて収束されるべきものであったように思います。
次回は、趣味で気まぐれに撮影している写真についての記事を書きたいと思います。










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